2015/08/15

8月15日~70年目の語り部



1945719日 2324
福井市上空に127機のB29戦闘機が来襲。

856トンもの焼夷弾が投下された。
81
分間にも及ぶ攻撃で、

市街地のおよそ8割は壊滅。

死者の数は1500名を超えた。

そのとき母は7歳。
4歳の弟の小さな手をとり、

逃げ惑う人の波に押され、もまれながら

ただひたすら火の海の中を走った。

どこをどれくらい走ったのか・・・・
気付くと両親や乳飲み子の妹ともはぐれ

真っ暗な田んぼの真ん中で震えながら

弟と二人うずくまっていた。
むせ返る暑さに恐る恐る外した防空頭巾が
所どころ焼け焦げ
降り注いだ炎の激しさを物語る。
ふと 見上げた空が
一面オレンジ色に染まり、

たくさんの火の粉が舞い上がるその光景が、

なぜかとても綺麗で、

ただ黙って いつまでも見ていたという。

「焼け出され」と
蔑まれながら暮らした疎開先で

母は日本の敗北を知る。

1945
815日のことである。

戦火をくぐり抜け
戦後の貧困と激動を生き抜いた
その後の母の人生がどんなものであったか、
今の母の顔、母の手を見れば

その道程が決して容易でなかったことは

私にも想像がつく。


そんな苦労を笑って話す彼女は
話の最後にいつも必ずこう付け加えるのだ。

「だけど戦争はいかんよ。あれは地獄や」
「人間が人間やなくなる。本当の地獄や」

そして・・・
2015
815日の今日

里帰りの子や孫のため
楽しげに料理の腕を振るう母の背中は
いつの間にかこんなに小さく見える。
戦後70年
歴史の語り部はこうして確実に老いてゆくのだ。


正午
少し開いた窓から青空が高く伸び
鳴り響くサイレンに
そこにいる誰もが ふと手を止めた。





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